tarott’s diary

子供、自分、50年の人間関係での思想

性善説では生きにくい

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学校、塾、社会

子供達も大きくなり性善説ではだんだん生きずらく

なってきた。

中学、高校、大学、社会人。

どの段階で世の中は

足の引っ張り合い、弱いもの虐め、ノルマの為には
嘘を付いても良い、ゴマすりが勝ち組

と教えねばいけないのだろうか。弱いものを助けると道徳教育をいくらしても、それは単なる綺麗事
フィクションでしかないんだよ。本当は。

ノンフィクションの世界は性善説とは真逆の世界で成り立っていると早い段階で教えなければ、乗り越えるのに多大な精神力を使い身も心もクタクタになってしまう。

性善説で生きて来た私が今、やっとズルく生きていいんだと思った。この歳になって。 もう、人に対して真摯に丁寧に接しても、意味が無い事がようやくわかった。

ノートテイカー(聴覚障害者の為の有償ボランティア)での出来事

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子供が大学で聴覚障害者の為のノートテイクをしている。2人1組で付く決まり。講習も受けて3年もやっていてパソコンの資格も持っている。

がある時、もう1人の子が忘れていたのか来なかった。なので子供が1人で必死にやったらしい。けれど、パソコンを打つのが遅い、内容が入って来ないと文句を言われ『ごめんね。力不足で…』と謝ったそうだ。そしてやる気力や自信を無くし人間不信に拍車。

2人1組でこそ、授業の要約をパソコンで打つ事が可能なくらい、難しい物なのに…1人で必死にやっている子供に対して、そして子供はAIでもない!
なのにそんなに上から目線で言われなければいけないのか??(いろんな方がいらっしゃるとおもいますが)

大学はノートテイクをする人が足りないと募集を、かけているが足りないのだ。
ノートテイクの講習指導も大事であるが、受ける方にも心の指導をお願いしたい。

単位にもならない授業を受けて、要約してパソコンに、打って…(それもその時は1人で…)

その後、その聴覚障害者の方はもう1人(忘れていたの方の子)には笑顔で接しうちの子供には冷たい態度。

忘れていた方が悪いのでは。
1人で必死にやった子供に対して、聴覚障害者の方だからといって何を言っても良いのか?人間不信にまで追い込む事無いだろうと思う。

大学からは、今年もお願い…とかなり信頼されていた。そこまで能力不足であったとも思えない。1人で必死にやったにも関わらず、聴覚障害者の方に満足して頂けなかったのは申し訳ないと思う。

そして感謝を要求しているのではない。その時の状況が状況なのでそれに対して文句を言うべきはノートテイクの仕事が入っている事を忘れていた子であり、保障は大学に言うべきなのではないか。

ノートテイクをやる為に講習やパソコンスキルを磨いても、単位にならない授業にわざわざ出ても(例え有償であっても)文句を言われるのでは割に合わない。もっと簡単で割の良いバイトは他にある。

子供の自己肯定感が高まるには 信じる事?諦める事? 

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子供を信じて任せる事で自己肯定感が高まるとネットなどでもよく見るが果たしてどうなのか?

任せる(期待が有る)=諦める(期待しない)
任せると言う感情の中には期待が有るように思う。
一方、諦めるの中には期待は無く自由に生きろと
親の人生と子の人生は別々とキッパリ割り切っている雰囲気。

親として、子供に対する感情の持って行き方の違い。応援する。簡単に言うが応援の仕方がわからない。距離感を、保った応援。表でも裏でもいいよ!って結果度外視の応援。おめでとう…残念だった…けど頑張った。

そのような言葉で直ぐには立ち直れない。時間がかかり、トラウマも残るのが現実。
フラッシュバックから、解き放たれるのにも時間がかかる。

寝たら忘れる!みたいな感覚ではないので励ましに本当に時間がかかる。

親としての無力感を押し殺してての励まし。自分の感情でさえコントロール難しいのに。

特にイジメからの頑張りに、限界を感じた子供に自己肯定感を取り戻させるのには本当に時間と努力が半端なくかかる。

学校の先生と内申の関係--2

PART1の記事を書いてから、まだ疑問の残る中

下の子の内申で否が応にもはっきりした。


真面目にノートを出していた子供。

しかし評定がおかしな事になっており、今回ばかりは先生に連絡を取って調べて頂いた。

びっくり!!仰天!!

先生‥『ノートを出しておられませんよ!』


私‥ 『は?あのう。ノートには先生の○付けされ    た後と、A評価の文字があるんですけど?』

先生‥『!!あぁー私の(先生の)内申ノートに転    記ミスしてました。私が間違って○さんの    ノート欄を空欄にしていた為出していない    事になっていました~。それでノート点を0    点として計算してました。。
    スミマセン。。計算し直してみます…
    !評定が(内申点が)変わりました。今か    ら新しい通知表作り直します。取りに来ら    れますか?』

私‥ 『ちょっと、用事が有りますので』

先生‥『今から作り直してお宅まで持って行きま     す』




やはり、おかしいと思った。理不尽に評定が下がっていたのだ。
受験に、直結すると言うのに…

うっかり先生の転記ミスだという。

おべんちゃら?何なのだ?何が必要なのか。もはや、運で内申点が決まるのか?何も信じられない。何年経っても変わらない。

上の子の時には内申点がおかしいと言えなかった。確かにおかしい事が存在する事が有るのだ。
故に-公立から私立に通わされ財産も減った。

先生は間違っても、人の人生なんてどうでもいいのでしょうね。スミマセ~ン。はい、終了。

不信感が裏打ちされた結果となりました。

学校って本当に(サラリーマンと違い)間違っても利益損失として数字に表れる訳でもないので、チェック体制無いのですね。そして、1人の人生を変えるだけ。

学校の先生と内申の関係

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受験シーズンになると思い出す。

真面目で頑張ったから良い内申とは限らない。

先生の好みの人間にならなければだめ。

こんなページがあった
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やっぱり。

真面目でノートを出してもダメ。

おべんちゃらで持ち上げないと。

でも、下手に出るとまた足下をみられる。

モンスター一歩手前。これが私の得た受験での親の
有り様。

どの世界でも、正義が、正しく生きていれば良い事が…は自己満足だった。

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人生の価値、勝ち、って一体、なんだろう。

生きやすくなる方法

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人との出逢い。師や学校の担任。もう、四半世紀生きてるけど、中学生の頃、卒業のノートに先生からひとことを書いて貰いに回った。


そのノートに書かれて、傷ついた内容。

『君は暗くて、あまり話してあげられなかったのが残念です。』


はーーーー?今になっておかしい担任だったと思う。もう、その担任の年齢も私自身越しているからやっとわかった。一生残る記念ノートにそんな事を書く人間だった。ってこと。

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やはりあの人は学校の先生やっててはいけない人だと強く思う。平成の今ならパワハラ

今も、居る。そのたぐいの人。師と呼ばれる職業の人。もいれば、近隣の人。職場の人。


で、いろんな気持ちを解消したくて、スピリチュアル系の本を読み漁った。人との出逢い運、傷の回復方法の考え方。罪悪感の消し方。

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暗い?って?倫理に反する最低限の行いだけ守れば良い。なんでも有り。自分を律し過ぎて良い人間に成らなくてもいい。みんな自由に生きてる。思い遣り。程ほどでよい。無理してまで、こころの犠牲者になってまで他人の事を気に掛けなくてて良い。

やっとわかった。適当に生きる事。今の自分の足元だけ見る方法。自己肯定とか否定とかではなく、全て良し。悩む事自体が善人に決まってるんだから。
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